• 【THE MASTER マスター】

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THE MASTER マスター

禅のマスターは他者に対するマスターではなく、
自分自身のマスターです。

そして、自分をマスターしているというそのことが、
彼のあらゆる仕草とひところに反映しています。

彼は伝える教義を持っている教師でもなければ、
神と直接的なつながりを持っている超自然的な使者でもなく、
まさに人間ひとりひとりの内側に潜んでいる
もっと高い可能性の生きた証となった人なのです。

弟子はマスターの眼の中に自分自身の真理が
映し出されていることに気づきます。

マスターの静寂に満ちた臨在のなかで、
弟子はもっと楽に自分自身の静寂へと落ちていくことができます。

マスターの周りに自然に形成される探求者たちのコミュニティーは、
ユニークな個人それそれが自分自身の内なる光を
見いだすのを支えてくれるエネルギーフィールドになります。

いったんその光が見つかったら、外側のマスターは触媒、
内なるものの目覚めを喚起する仕掛けに過ぎなかったことを
弟子は理解するようになります。




マインドを超えると、本来そなわっている覚醒、
外側からあなたに与えられるものではなく、
概念ではない覚醒がある。

そして、現在に至るまで、脳のなかに覚醒に対応する中枢を
発見したという実験はない。

瞑想のすべての働きは、「マインド」であるもの
すべてをあなたに気づかせて、
それへの自己同化を断ち切らせることだ。

このまさに分離こそ、人間に起こりうるもっとも偉大な革命だ。

いまや、あなたは自分をもっと楽しくしてくれること、
自分を満たしてくれること、自分に充実感をもたらしてくれること、
自分の生を芸術作品に、美にしてくれることだけを行い、
それに基づいて行動することしかできない。

だが、これはあなたのなかのマスターが
目覚めて初めて可能になる。

いまのところ、そのマスターはすっかり眠っている。

いまのところ、そのマスターはすっかり眠っている。

そのマインドが召使が、マスターの役をしている。

しかも、その召使はあなたの召使ですらない。

その召使いその世界によってつくられる

それは外の世界とその慣習に従う。

ひとたびあなたの覚醒が炎になったら、
それはマインドがつくりあげた隷属全体を焼きつくす。

自由ほど、自らの運命マスターであることほど貴重な至福はない。
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  • 【21 COMPLETION 完成】

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21 COMPLETION 完成

ジグソーパズルの最後のひとかけが、しかるべき場所、
第三の眼の位置、内なる洞察の場に置かれようとしています。

果てしなく変化する生の流れのなかにあってすら、
これで完成というポイントに行き着く瞬間がときにはあります。

こうした瞬間に、私たちは絵全体を、長いあいだ気になっていた

小さな断片すべてが組み合わされた全体像を
読み取ることができるのです。

仕上げてしまったら、私たちにできることは、
この状況が終わることは望んでいないので絶望してしまうか、
それとも、感謝して、生には多くの終わりと

多くの新しい始まりがあるという事実を受け容れるか、
そのどちらかです。

なんであれ、これまであなたが時間と
エネルギーを注いできたそのすべてが、
今、終わろうとしています。

それを完成させることで、あなたは新しいなにかが
始まるためのスペースを、きれいにかたづけて
準備することになるのです。

この間合いを両方に——古いものの終わりと
新しいものの到来を祝うことに使いましょう。





ものごとを最後まで言わないこと——

これが禅のやり方だ。

これは理解されなければならない。

ひじょうに意義深い方法論だ。

すべてを言わないということには、
聞き手に それを完成させる機会を与えるという意味がある。

答えはすべて未完成だ。

マスターはあなたにただ方向を与えているだけだ……。

あなたが行き着くところにまで行き着いてしまえば、
なにが手元に残ったのかがわかるだろう。

だから、たとえ誰かが禅を知的に理解しようとしても、
失敗することになる。

それは問いに対する答えではなく、答え以上のなにかだ。

それは現実(リアリティ) そのものを指し示している……。

仏性は遠くにあるなにかではない

あなたの 意識そのものが仏性だ。

そして、あなたの意識は、世界を成り立たせているものごとを
その場で見ることができる。

世界は終わっても、鏡は残る——

なにもないことを映しながら。
  • 【20 BEYOND ILLUSION 幻想を超えて】

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20 BEYOND ILLUSION 幻想を超えて

このカードの蝶は外側にあるもの
絶えず動いているもの、
現実ではない幻想を表しています。

蝶の背後には意識の顔があり、
内側を永遠なるものの見方をしています。

眼の間のスペースが開いていて、
そこにはスピリチュアルな蓮と、
覚醒の太陽が現れています。

太陽が昇ることで瞑想が生まれます。

このカードは現実とは何かをさがして外を見るのではなく、
内側を見ることを私たちに思いださせてくれます。

自分の独断的なマインドを落として、内側へ入りましょう。

そこでこそ、自分のもっとも深い真理、
夢と現実の違いがすでに知られているところへと、
くつろいでいくことができます。





夢と現実の区別はこれしかない——

現実は疑いを許すが、夢は疑いを許さない……。

私にとって、疑う能力は人類への最大の祝福のひとつだ。

宗教は疑いの根そのものを切りつづけてきたのだから、
これまでずっと敵対してきた。

そして、彼らがそうしているのにはわけがある。

彼らは自分たちが説きつづけている幻想を
人びとに信じてもらいたいのだ……。

なぜ、ゴータマ・ブッダのような人びとは、全存在——

あなたの目撃している自己以外は、
あなたの覚醒以外は全存在がただはかなく、
夢と同じものでできていると 強く主張したのだろう?

彼らは、この樹々はここにはないと言っているのではない。

この柱はここにはないと言っているのではない。

「幻想」という言葉ゆえに、誤解してはいけない……。

それは幻想と訳されてきた。が、幻想は
正しい言葉ではない。幻想は存在していない。

現実は存在している。まさにその中間にあるのがマーヤ

それは ほとんど存在している。

日常の活動に関するかぎり、それは現実として捉えられる。

究極の意味においてのみ、あなたの光明の頂きからは、
それは現実ではなくなる、幻になる。
  • 【19 INNOCENCE 無垢】

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19 INNOCENCE 無垢

このカードの老人は、子どものような歓びを世界に放っています。

彼のまわりには優雅な感じがただよい、まるで自分に、
そして生がもたらしてくれているものに、
くつろいでいるかのようです。

彼は指の上の蟷螂(かまきり)と
楽しい会話を交わしているように見えます。

まるで彼らふたりが大の親友であるかのように。
彼のまわりにこぼれ落ちているピンクの花は、
手放しの、くつろぎの、そして甘美なひと時を表わしています。

それは、彼がそこに在ることへの応答、
彼自身の質が映し出されたものです。

生を深く体験することから生じる無垢は、
子どものようです。

でも、子どもじみてはいません。子どもたちの
無垢は美しいのですが、なにも知らないのです。

成長し、世間は危険で怖いところでもあるということを学ぶにつれて、
その無垢は不信や疑いに置き換えられてしまうでしょう。

しかし、充分に生きられた生の無垢には、 智慧の質と、
生の果てしなく変化する驚きを受け容れる質があります。






禅はこう言っている。もしあなたが知識を落としたら、、、

知識のなかにはあらゆるもの、あなたの名前、
あなたの アイデンティティ、あらゆるものが含まれている。

というのも、これは他人によってあなたに与えられているものだからだ、、、

もし、あなたが他人から与えられているすべてを落としたら、
あなたは自分の存在に全面的に異なった質
無垢を得ることになる。

これは、仮面(ペルソナ) 、人格(パーソナリティ)の十字架上の死、
そして、あなたの無垢の復活になる。

あなたは再び子どもになる、生まれ変わる。
  • 【18 PAST LIVES 過去生】

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18 PAST LIVES 過去生

存在の両手が女性生殖器、宇宙の母の開口部を形づくっています。

その内部には、過去の多くのイメージ、顔が現れています。

自分は過去生では有名だったのだと空想するのは面白いでしょうが、
それは慰めに過ぎません。

本当の要点は生のカルマのパターンと、そのパターンの根
私たちを無意識な振る舞いの罠にかけ、
果てしなく繰り返されるサイクルの中にある根をみて
理解することにあります。

2匹の虹色トカゲは知っていると、知らないを表しています。

彼らは無意識なるものの守護者で、ヴィジョンへ向けた
私たちの準備が整っているかどうかを確かめています。

このヴィジョンは、準備が整っていなければ害を
及ぼすかもしれないものなのです。

私たちの存在は永遠だということを見ようとすることは贈り物です。

私たちの生におけるカルマの働きを理解することは、
自分の想い通りに把握できるようなことではありません。

これは目を覚ましなさい。という呼び声なのです。

あなたの生における出来事が、あなたの魂の旅と同じくらい
古くからあるひとつのパターンをみせてくれようとしています。





子どもは、過去生で充分瞑想し、死がもたらす
闇と闘えるだけの瞑想的エネルギーを
創造していて初めて、意識を保っていられるようになる。

人はただぼんやりとした状態のなかで我を失い、
そして突然、新しい子宮を見つけだし、
古いからだのことは すっかり忘れてしまう。

そこには断絶がある。この闇、この無意識が、その断絶を生み出す。

東洋はこうした障害を突き抜けようとして懸命に働きかけてきた。

そして、その一万年にもおよぶ働きかけは、無駄になってはいない。

誰でもひとつの過去生、 あるいは多くの過去生を見通すことができるのだ。

だが、そのためには、自分の瞑想に深く入って行かなければならない。

それにはふたつの理由がある——。

深く入って行かないかぎり、別の生への扉が見つからないからだ。

二番目に、あなたは瞑想に深く入っていなければならないが、

それは、別の生への扉が見つかると、
出来事が洪水のように心に押し寄せてくるからだ。

ひとつの生をつづけていくことですら、
充分骨が折れる……。