【5 NO-THINGNESS ノー・シングネス(無)】
2011年05月01日00:05
大アルカナ

5 NO-THINGNESS ノー・シングネス(無)
「隙間のなかに」在ると、方向を見失い、怖くなることすらあります。
しがみつくものはなにひとつなく、方向感覚もなく、
この先にどのような選択と可能性が待ち受けているのか、
そのヒントすらつかめません。
しかし、宇宙が創造される以前から存在していたのは、
まさに純粋な潜在能力という、この状態だったのです。
今あなたにできることは、この無のなかへと
リラックスしていくことだけです……
言葉と言葉のあいだにある、この沈黙のなかへと落ちること……
出ていく息と入ってくる息の中間にある、この隙間を見守ることです。
そして、その体験の空っぽの瞬間を、ひとつひとつ大切にしましょう。
神聖ななにかが、まさに生まれようとしています。
仏陀は、ほんとうに潜在能力の高い言葉のひとつを選んだ シュニヤータ。
英語、それに相当する英語"ナッシングネスnothingnessは、
それほど美しい言葉ではない。
私がそれを"ノー・シングネスno-thingnessとしたいのは、そのためだ。
というのも、無というナッシングは、ただのナッシングではないからだ。
それはすべてだ。
あらゆる可能性で脈打っている。
それは潜在能力、絶対的な潜在能力だ。それはまだ顕現していない。
だが、すべてを含んでいる。
初めに自然があり、終わりに自然がある。
だとしたら、なぜ、その真ん中でそんなに大騒ぎするのかね?
なぜ、その中間で、そんなに心配し、そんなに気をもみ、
そんなに野心を抱くのかね?
なぜ、それほどの絶望をつくりだすのかね?
無から無へ、それが旅のすべてだ。